プロフィール&ブログ運営のモットー

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プロフィール

初めまして。はせchannelブログを運営する、長谷川真也と申します。
ブログ名の”はせ”は私の大学時代のニックネームです。

英語を学び始めたきっかけ

愛知県の高校に入学後、オーストラリア・ブリスベンに3ヶ月間の語学留学を経験。
当時はお世辞にも英語が得意とは言えず、留学中に現地でかろうじて英検3級を取得する程度でした。

私の通っていた高校は英語力が堪能な同級生が多く、1年生のうちに英検2級は当たり前、英検準1級やTOEIC860点以上取得する友人も多くいました。

自分に情けなさを感じながらも、なんとか周りについていこうと英語以外の科目には目もくれず、毎日必死に英語のみ勉強しました。

その後、なんとか1年生の内に英検2級を取得。2年生に上がると同時に1年間休学し、アメリカ・ロサンゼルスのApple Valley Christian Schoolという現地の私立高校に1年間編入しました。

最前列左から2番目のゴジラが私です。

留学開始当初の英語は悲惨

プロフィールにはかっこよく”ロサンゼルスに1年間留学”と書いてはいますが、アメリカ留学を開始した当初の私は「本当に3ヶ月の留学経験があるのか」と疑うレベルの稚拙な英語力しか持ち合わせていませんでした。

ホストファミリーと出会い、「What do you wanna eat for tonight?(今晩何食べたい?) 」と聞かれ、「Steak.(ステーキで)」の一言しか返せないレベルです。

緊張していたから、などの言い訳では通用しないレベルで自分でも驚きました。

その後もホストファミリーとはまともにコミュニケーションが取れず、なんとなく身振り手振りで伝えることで毎日を乗り切りました。

スポーツは世界の共通言語

アメリカに到着して1週間後、高校の春学期が始まりました。
オーストラリア時代の語学留学とはまるで違い、アメリカ人まみれの光景にビビりまくっていました。

話しかけられても全く分からず、自分が何を返せばいいのかも全くわかりませんでした。会話をする時はとにかく頭が真っ白になりました。

そんな私でしたが、一つだけ得意なものがありました。野球です。

小学4年生で地元のボーイズリーグに入団し、6年生の最後の大会では全国大会に出場しました。中学時代も県大会でプレーしました。

アメリカでなんで通用するはずがないと半ば諦めていましたが、たまたま試合を見学していたら「ちょっと試合出てくれ」と突然頼まれました。

為すがまま試合に出場し、いきなりピッチャーを任されました。結果は1回3人をピシャリ。アメリカ人や中国人のチームメイトから大歓迎され、野球チームに属することになりました。

Apple Valley Christian Schoolのベースボールチーム「Warriors」

紆余曲折のアメリカ留学〜大学進学へ

この出来事がきっかけで、チームメイトと授業や昼休み、放課後の練習や練習後のご飯まで、毎日を共にしました。

ホストファミリーにも野球の試合を見に来てもらい、野球の話題を通じてどんどん英語でのコミュニケーション力が向上していきました。

しかし、留学を開始して3ヶ月後、当時のホストファミリーがなんと離婚してしまい、路頭に迷う形になった私はホストコーディネーターの家に転がり込みました。

そんなハプニングに見舞われながらも、毎日のアメリカ生活を謳歌し、日本の高校へ戻りました。

その後、大学受験の資格取得のために英検準1級を3度受験し、最後は1点足りず全敗。挫折を味わうも、TOEICで810点を取得。AO入試で横浜の大学へ進学しました。

トビタテ!留学JAPANで世界へ

満を辞して大学に入学。すっかり得意になった英語を武器に、講義も余裕を持ってついていき、単位は楽勝に取得していきました。

大学では野球部に所属し、野球漬けの日々と「高校でアメリカ留学したからもう留学はいいかな」という気持ちが相まり、大学生活になんとなく物足りなさを感じていました。

そんな中、大学3年生の夏に「トビタテ!留学JAPAN」という奨学金の存在を知りました。詳しくは私の記事でも説明していますが、留学がほとんどタダで行けてしまう制度です。

この制度を知った私は、死に物狂いで合格までこぎ着けました。
「このまま大学生活を終わらすわけにはいかない」という気持ちが原動力でした。大学3年生といえば就活が始まる時期ですが、そんなことはどうでも良かったです。

拓けた世界はとんでもなく広かった

無事、奨学金に採用された私でしたが、他の奨学生達はとんでもないツワモノばかり。
皆、それぞれの得意分野で突き進んでいこうとする意志がものすごかったです。

「自分にしかできないことは一体なんだろう」と、悩みは尽きませんでしたが、大学の専攻である国際経済学とJICAでのインターンシップ経験を活かし、スウェーデンで移民について学ぶことを決心しました。

スウェーデンに行ってみると、とてつもなく広い世界が待っていました。
私自身も高校と大学をそれぞれ1年休学するなど、どちらかと言うと少し変わった学生生活を送ってきました。

しかし、スウェーデンで出会う学生達は「卒業したらバカンスを楽しみ、それから仕事の事は考える」「デンマークで仕事してたけど、スウェーデンで勉強したいことがあったから仕事を辞めた」など、自分が本当にやりたいことを軸に、何にも囚われず自由に生きていました。

「高校卒業」→「大学進学・卒業」→「社会人として毎日働く」と言うことが当たり前だと思っていた私の考えは見事に崩れ去りました。

スウェーデン留学最後の夜、部屋の一室を貸してくれたAnnikaさんとの一枚
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当ブログ運営のモットーと伝えたいこと

とは言うものの、私は生粋の日本生まれ日本育ちです。
いくら海外生活の経験が数年あるとは言え、スウェーデンで出会った人々のような思い切った人生選択を取る事はなかなか難しいです。

ですが、このブログを通して皆様に伝えたい事は「世界は広く、自分の当たり前は決して当たり前ではない。自分の人生は自由に決めて良い」と言うことです。

私はこれまでの人生で時間を見つけてはヨーロッパから南米まで、色々な国へ旅してきました。

その理由の一つとして、「自分の人生の選択肢をたくさん作りたい」と思っているからです。
留学中に出会った人々の様な人生を自由に作り上げていく力は、広い世界を見ることで養われていくと考えています。

私もまだ決して思う様に実行できているわけではないですが、このブログを見ていただいている皆様に私の記事を通じて、少しでもその考えが伝えられるといいなと思っています。

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